第三章
「至急大和に向けて電文を打ってください。敵機。四十度。距離三千。高度三千。機数約六十機。機種はユンカース87T艦上爆撃機、フェアリーバラクーダMkⅤ艦上攻撃機、G55チェンタウロ戦闘機……」
とつぜんぼくの目の前に現れた女性は、いきなりぼくにむかって命令口調で話し始めた。
「ちょっと待ってください。いったいあなたはだれなんですか。」
ぼくはおどろいて聞きかえした。ここは、第三主砲塔を撤去し、防空巡洋艦に改装された重巡洋艦摩耶の艦内である。
しかも、泊地に停泊しているわけではない。現在はハワイ諸島攻略のため、戦艦「大和」を旗艦とした連合艦隊の一員として、太平洋の真ん中を航行中なのである。乗員の家族や慰安婦ではありえない。もっとも、彼女はぼくが見たことがない軍服のような洋服を着ていたが、日本の軍人に女性はいない決まりなのだ。
「おい、おまえ、だれもいない場所に向かってなにをいってるんだ。幽霊でも見てるのか。」
ぼくといっしょに甲板をあるいていた鈴木兵長が、不安そうな口調でぼくに声をかけてきた。
僕はおどろいて、鈴木の顔をまじまじと見つめた。鈴木は本当にぼくのことを心配しているようだった。
つづいてぼくは、洋装の女性のほうに向きなおった。
彼女はキリリとした表情をしていたが、その目には、負傷して、いままさに息をひきとろうとしている仲間を、ただ見守ることしかできない兵士のような、深い悲しみがひそんでいるように感じられた。
(彼女は、ぼくにしかすがたを見せることができないんだ。)
なぜぼくがそんな非現実的な考えを思いつき、そしてあっさりと受け入れてしまったのかは、ぼくにもわからない。
あるいは、ふみつぶされた虫けらか、石ころのように死んでいった人間を何人も見てきたせいで、あたまがおかしくなっているのかもしれなかった。
そんなぼくのようすをみていた洋装の女性は眉間をよせると、いきなりぼくの軍服の襟元を掴み、
「とにかく、早く何とかしなさい!男の子でしょ!」
と、助けを求めるようにさけんだ。ちょうどその時、鈴木がぼくの右肩に肩をおき、
「おい、ほんとうにだいじょうぶか?」
と、ふたたび尋ねてきた。それを見た洋装の女性は、はっとしたように、ぼくの襟元をつかんでいた手をはなした。そして、
「ごめんなさい。あなたには、なんの責任もないのに。」
と、自分を納得させるように呟くと、スーッとすがたを消してしまった。人間ならば、大型爆弾の直撃を受けても、肉の切れっぱしくらいは残るものなのに。
それからさほど時間がたたないうちに、敵機がやってきた。輪形陣の中心に置かれた赤城、蒼龍、葛城の三隻の空母からは、零戦や烈風が迎撃のためにあわてて発艦していった。摩耶の対空指揮所もさわがしくなり、ぼくら機銃手も戦闘配置についた。
襲来した敵機の方角と機数、そして機種は、洋装の女性の発言と完全に一致していた。
<わたしって、やっぱり潔癖性なのかな。>
かつて伊吹マヤと呼ばれていた存在は、そうつぶやいた。
一介の機銃手に警告をしたところで、どうにかなる問題ではなかったのだ。それに、たとえ万が一、彼女のとった行動が何らかの効果を上げたとしても、日本側の損害がへるかわりに、国連軍の死者がふえるだけのことだ。
けっきょく戦争というのは、人間と人間との殺し合いなのだから。それにそもそも、この戦い自体が・・・・・・
それでも、彼女は、何かをせずにはいられなかったのだ。
参考文献(副読本)
『戦艦武蔵のさいご』
渡辺 清 (著) 童心社
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