2016年2月29日月曜日

寄稿文『旧世紀エヴァンゲリオン FAKE GENESIS EVANGELION 鋼鉄の宴』第五章前半



第五章前半

3点式?スロット式?両刃カミソリの形状



 先日書いた両刃カミソリ替刃について、少し新たなことが分かりました。
 替刃に3つの穴が開いているだけ(3点式)のタイプと、それをつなぐ切れ目(スロット)の入っているタイプに関してです。以下のブログ記事から知ったことです。

http://wetshaver.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

 ここによると、両刃安全剃刀の元祖であるジレット社は当初3点式を作ったそうです。しかし1929年ごろ、ジレットはスロット入りの刃の生産を開始。そのうちに3点式の刃のホルダーの生産も終了したと。
 これは、新式のスロットタイプのホルダーには3点式が入りませんから、自社新式ホルダーユーザーの替刃の需要を囲い込むための戦略だろうとこのブログの筆者は言います。

 つまり、3点式と現行のスロット式は同時代的に生まれた競合品ではなく、3点式こそが元祖だった、ということです。(ちなみに、例の野崎屋刃物店には、この3点式ホルダーも一つだけ売っています。それどころか片刃用のホルダーまで売ってますけどね。)
 そうなると、僕の手元にあるBlue Veniceは、一体どれだけ昔に日本に入ってきたものだったのやら。ホルダーが生産されなくなっても替刃の生産は息が長いですから、まさか1930年代ではないでしょうが、はてさて。
 余談ですが……Blue Venice、この謎のスウェーデン製カミソリについて、当初僕は「スウェーデンと鉄鋼業が結びつく印象がない」などといいましたが、さにあらず。岩倉使節団も、スウェーデンを「鉄鋼の国」として視察に行っていましたね。




 さて、3点式とスロット式に話を戻しますが、ブログの記事から離れて、歴史を考えるのも面白いですね。

 ジレット社は、第一次世界大戦中に軍への安全剃刀の納入で大きく利益を上げ、また「自分で髭剃りをする」という生活習慣を確立した、と言われます。
 ではスロット式の登場以降、軍はどういう選択をしたのでしょうか。他社製替刃との互換性か、それとも引き続きジレットと付き合いを続け、スロット式を買い続けたのか。
 これは、推測することが非常に難しい問いです。

 市場で強気だったジレットのスロット式に他社が追従して、スロット式の替刃も第二次大戦中にたくさん出回ったんじゃないか、と考えられれば、「軍はジレットのスロット式を採用しただろう」と結論がでます。
 しかし、前掲のブログ曰く「1904年に発売された Gilletteの両刃に関する替刃の特許は1921年に切れ」た(随分短い特許期間ですね。こんなものなのでしょうか?)ということは、1929年に特許が取られたスロット式替刃もまた、17年かそこらで特許が切れたはずです。逆にいえば、この間、ジレットのホルダーに使えるスロット式替刃を他社は作れなかったことになります。
 だったら第二次大戦中、スロット式替刃を供給できたのはジレットだけ。これを軍はどう扱ったのでしょうか。
 もちろん、第一次大戦中だって、替刃を作れたのはジレットだったにも関わらず、ジレットが納入されていたのですから、第二次大戦中においてもジレットの純正品だけを軍が買い続けたとしても不思議はないのですが。

 第二次大戦中の米軍で支給された両刃カミソリの形式は3点式か、スロット式か。
 これもまた、日本で考えるには途方もない問いです。

2016年2月18日木曜日

カミソリ関係の買い物と、炭素鋼刃のすすめ。

 最近、神保町行ったんです。神保町。
 そしたらなんか本屋がめちゃくちゃいっぱいで大変なんです。
 で、よく見たらなんか一件だけ刃物屋あって、野崎屋刃物店、とか書いてあるんです。

 これより先は思いつかないので吉野家コピペはもう終わりね。
 今どき吉野家コピペかよ、おめでてーな。きょうび流行んねーんだよ、ボケが。
 
 で、まあ、刃物屋があったわけよ。
 両刃カミソリ使いは刃物屋があると入らずにはいられない習性があるから、まあ入ったんだけど、そこでちょっと買い物したから、その収穫の自慢でもしようかと思って記事を書いてるわけ。