2016年8月4日木曜日

寄稿文『旧世紀エヴァンゲリオン FAKE GENESIS EVANGELION 鋼鉄の宴』第七章前半



第七章前半

 戦闘海域の只中であるにもかかわらず、巨大な濳水艦が、白昼堂々と水上を航行してゐた。其の船の名はノーチラス。元は合衆國最大級の潜水艦「ナワアル」級の弐番艦であったが、此度の海戰に先立つ大改装により艦影は大きく変化してゐる。
 新生ノーチラス號改装後の装備でまづ眼に付くのは艦の中心軸を貫くように設置されてゐる巨大な物体である。この物体は二本の寸法が等しい細長い棒からなっており、中央部では互いに螺旋状に巻き付き一本の棒を形作っているが、両端では二叉に分かれてゐる。さらに特筆すべきなのはその大きさである。一見すると槍のようにも見えるこの装備は、しかし百拾参米もの全長を誇るノーチラスの船体にすら収まりきらず、両端を海中へと突き出しており、艦首方向から眺めると恰も旧世紀の軍艦が装備していた武装である衝角のように見える。ガルガンチユアの如き巨人で無くば、此を槍として使うことは不可能であろう。亦、其の他にも新装備搭載に伴ふ排水量の増加に対処する為、両舷に巨大な補助タンクが設置されてゐるが、実は此のタンクは、「ガトー」級潜水艦を改造した物である。更にその外側には水中翼までもが追加されており、水中に於ける運動性が大きく向上している事は確実であった。
 しかしこの改造「ノーチラス」に於ける最も驚くべき箇所は、上記に記した派手な偽装では無い。「ノーチラス」號中央発令所の下の艦底から張り出している半球形の部分。乗組員が俗に第二艦橋と呼ぶ箇所こそ、此の艦の中枢で在る。この場所の内部はというと、まづ中央に据え付けられている半径七米の円卓と、船尾側にこの部屋と外部とを結ぶ唯一の道である中央司令室直通の昇降機、そして昇降機の扉と円卓とはやはり長さ七米の直線の通路によって結ばれていた。それ以外の場所には、至る所に最新鋭の機械類が配置されており、ほとんど足の踏み場も無い様な有様であった。尤も、この部屋に足を踏み入れる事が許されている人物は、この艦には一人きり居なかったのだが。

2016年2月29日月曜日

寄稿文『旧世紀エヴァンゲリオン FAKE GENESIS EVANGELION 鋼鉄の宴』第五章前半



第五章前半

3点式?スロット式?両刃カミソリの形状



 先日書いた両刃カミソリ替刃について、少し新たなことが分かりました。
 替刃に3つの穴が開いているだけ(3点式)のタイプと、それをつなぐ切れ目(スロット)の入っているタイプに関してです。以下のブログ記事から知ったことです。

http://wetshaver.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

 ここによると、両刃安全剃刀の元祖であるジレット社は当初3点式を作ったそうです。しかし1929年ごろ、ジレットはスロット入りの刃の生産を開始。そのうちに3点式の刃のホルダーの生産も終了したと。
 これは、新式のスロットタイプのホルダーには3点式が入りませんから、自社新式ホルダーユーザーの替刃の需要を囲い込むための戦略だろうとこのブログの筆者は言います。

 つまり、3点式と現行のスロット式は同時代的に生まれた競合品ではなく、3点式こそが元祖だった、ということです。(ちなみに、例の野崎屋刃物店には、この3点式ホルダーも一つだけ売っています。それどころか片刃用のホルダーまで売ってますけどね。)
 そうなると、僕の手元にあるBlue Veniceは、一体どれだけ昔に日本に入ってきたものだったのやら。ホルダーが生産されなくなっても替刃の生産は息が長いですから、まさか1930年代ではないでしょうが、はてさて。
 余談ですが……Blue Venice、この謎のスウェーデン製カミソリについて、当初僕は「スウェーデンと鉄鋼業が結びつく印象がない」などといいましたが、さにあらず。岩倉使節団も、スウェーデンを「鉄鋼の国」として視察に行っていましたね。




 さて、3点式とスロット式に話を戻しますが、ブログの記事から離れて、歴史を考えるのも面白いですね。

 ジレット社は、第一次世界大戦中に軍への安全剃刀の納入で大きく利益を上げ、また「自分で髭剃りをする」という生活習慣を確立した、と言われます。
 ではスロット式の登場以降、軍はどういう選択をしたのでしょうか。他社製替刃との互換性か、それとも引き続きジレットと付き合いを続け、スロット式を買い続けたのか。
 これは、推測することが非常に難しい問いです。

 市場で強気だったジレットのスロット式に他社が追従して、スロット式の替刃も第二次大戦中にたくさん出回ったんじゃないか、と考えられれば、「軍はジレットのスロット式を採用しただろう」と結論がでます。
 しかし、前掲のブログ曰く「1904年に発売された Gilletteの両刃に関する替刃の特許は1921年に切れ」た(随分短い特許期間ですね。こんなものなのでしょうか?)ということは、1929年に特許が取られたスロット式替刃もまた、17年かそこらで特許が切れたはずです。逆にいえば、この間、ジレットのホルダーに使えるスロット式替刃を他社は作れなかったことになります。
 だったら第二次大戦中、スロット式替刃を供給できたのはジレットだけ。これを軍はどう扱ったのでしょうか。
 もちろん、第一次大戦中だって、替刃を作れたのはジレットだったにも関わらず、ジレットが納入されていたのですから、第二次大戦中においてもジレットの純正品だけを軍が買い続けたとしても不思議はないのですが。

 第二次大戦中の米軍で支給された両刃カミソリの形式は3点式か、スロット式か。
 これもまた、日本で考えるには途方もない問いです。

2016年2月18日木曜日

カミソリ関係の買い物と、炭素鋼刃のすすめ。

 最近、神保町行ったんです。神保町。
 そしたらなんか本屋がめちゃくちゃいっぱいで大変なんです。
 で、よく見たらなんか一件だけ刃物屋あって、野崎屋刃物店、とか書いてあるんです。

 これより先は思いつかないので吉野家コピペはもう終わりね。
 今どき吉野家コピペかよ、おめでてーな。きょうび流行んねーんだよ、ボケが。
 
 で、まあ、刃物屋があったわけよ。
 両刃カミソリ使いは刃物屋があると入らずにはいられない習性があるから、まあ入ったんだけど、そこでちょっと買い物したから、その収穫の自慢でもしようかと思って記事を書いてるわけ。