第六章後半
「副長、僕は、あの艦を止める。」
(この糞野郎が。)
大日本帝国海軍所属二等巡洋艦「大淀」副長、新城直衛中佐は上官を罵った。さすがに口にこそ出さなかったが。
艦長が人の上に立つ器でないことは、莫迦でもわかる。人望がなく、冷静さに欠け、優柔不断であり、なによりも、状況を客観的に判断できない。今まではそれでもよかった。艦長室に人形のように座っているだけならば、まだ我慢できた。だが、それももう終わりだ。もう何もかもおしまいだ。
酒匂は、大和の副砲や機関砲座から放たれる十センチ砲弾と四十ミリ機関砲弾を全身に浴びつつ、その弾幕の射程圏内に逃れようと必死にもがいていた。それはもはや撤収などと呼べるものではなかった。遁走であった。
新城は火器管制室へとつながっている電話の受話器を震える手で掴んだ。いったいシンジの野郎は何をするつもりなんだ。まさか大和と酒匂の間に割り込もうとでも考えているんじゃないだろうな。そんなことをしたら大和は何のためらいもなくこの艦を攻撃するだろう。奴の父親は、そういう男だ。
連合艦隊司令長官、碇ゲンドウは部下を自分の目的を達成するための駒としてしかみようとしなかった。おそらく少しでも情を見せれば冷静な判断が出来なくなる程度の人間なのだろう。あの親にしてあの子ありだ。
「砲術長、酒匂を撃て。」
「はい、射撃準備はできております。ですが、よろしいのですか。」
受話器の向こうの声が、感情のない声で答える。
「かまわん、どうせ大和に撃たれるだろうし、なによりも艦長殿の命令だ。」
しばしの沈黙の後、新城は重ねて言った。
「細かいことは君に任せる。一斉射で仕留めろ。ああ、そうだ、流れ弾には、くれぐれも気を付けるように。味方に被害が出ては困るからな。」
「了解しました。」
喜びに満ちた声が返ってくるのを確認してから、彼は自分の冷や汗で湿った受話器を降ろした。
僕はいったい何を憂鬱に感じているんだろう。艦長の命令を曲解したことをか?いや、崇高な自己犠牲という奴の愚行を止めるにはこれしかなかった。戦友の盾となって命を散らす。この艦に乗っている彼の(僕の)部下達を巻き添えにして。無能で命を惜しまない上官は、有能で狂信的な指揮官と同じくらい始末に負えない。
ああ、そうか、畜生。酒匂がうまいことやってくれれば僕は生きて国に帰れたかもしれないのだ。まったく、今の僕の周りは莫迦、馬鹿、バカ
「やめろーっ!!」
シンジの悲鳴はしかし、戦闘艦橋にむなしく吸い込まれていった。
参考文献(副読本)
『皇国の守護者』
佐藤大輔
(著) 集英社
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