2015年5月3日日曜日

寄稿文『彷徨』

humihiko30氏から小説の寄稿があったので掲載するの巻。

届いてから一週間くらい放置してたのは内緒。


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彷徨

 私の学生鞄の中には、どうやらブラックホールが存在しているらしく、時々中の物が吸い込まれてしまう。嘘ではない。現に今も鞄のポケットに入っている筈のハンカチがどうしても出てこない。こうなったら家の中にあるホワイトホールのうちのどこかから吐き出されるのを待つしかない。 
 そう腹を決めた私は、軽い頭痛を感じながら、六畳間から、パソコンが置いてある隣の八畳間へと向かった。二つの部屋を隔てるのは開け放された襖のみなので、移動は楽である。もっともその分、プライバシーの侵害が起きやすいという欠点もある。何しろここから障子一枚隔てた所は、妹の部屋なのだ。パソコンが起動すると、私は嫌々ながら「批評入門」のミニレポートを書き始めた。締め切りまであと四日、いかに面倒くさくても書かないわけにはいかない。
「駆逐戦艦とは、防御力を犠牲にすることによって、通常の戦艦を上回る戦艦並みの砲力と速力を備えた軍艦であり、英国のレナウン級、日本の紀伊級等がこの艦種に分類されている。」
 ここまで入力した時、私はこみ上げて来る嘔吐感を堪えきれなくなった。慌てて廊下に出ると、階段のすぐ側にあるトイレに向かって走る。既に吐瀉物は私の口腔にまで達し、胃酸の酸味が味蕾を刺激していた。私は何とか目的地まで辿り着き、液体と固体との混合物を全て便器の中に収めることに成功した。二階のトイレが洋式であった事は幸運であった。一階にももちろんトイレはあり、見かけは二階の洋式便所と変わらないのだが、実際の所は和式便器の上にオマルを備え付けただけのものである。
 この家は古風な木造二階建て、と言えば聞こえは良いが、実の所老朽化のためあちこちにがたが来ている。特に二階の状況は深刻で、以前からちょっとした地震でもグラングランと大きく揺れていたのだが、昨年の震災以来、地震が無くとも常時グラグラと小刻みに揺れるようになってしまった。これでは酔わないほうがどうかしている。 出すものを出して取りあえず吐き気は収まったものの、まだ頭痛が残っている。体調不良の原因については考えるまでも無い。地震酔いである。
 このまま二階に居ても体調は悪化するばかりなので、私は口をゆすいだ後、急な階段を手摺りにつかまりながらゆっくりと降り始めた。ひんやりとしたタイルの感触が素足に心地よい。子供の頃はよくこの手摺りに馬乗りになって踊り場まで滑り降りたものだった。あの頃は家のどの部分も、ものすごく大きく感じられたものだった。部屋はどこまでも広く、廊下はどこまでも続き、庭のありんこも今よりよっぽど大きく見えた。あるいは私が内向的な性格で、幼い頃はあまり家の外に出たがらなかったのも一因かもしれない。よく母や祖母に遊んで貰った事を覚えている。ともあれ、今は昔の話だ。
 食堂の手前で道は三つに分かれる。そのまま直進すれば玄関。左側の引き戸を開ければ食堂と繋がっている台所、右側に枝道のようにして伸びている廊下を通ると祖母の部屋に至る。
 私の祖母はバリアフリーなど全く考慮されていないこの家で長いこと私達と同居していたのだが、去年とうとう老人ホームへと移ってしまった。祖母からその決心を伝えられた時の事を、私は今でも鮮明に覚えている。私はしばらくの間絶句し、その後に一言
「・・・・・・寂しくなりますね」
 と、言った。それが本音だったのか、それとも演技だったのかは自分でも判らない。
  そんな感慨に耽っていると、階段の上り口の反対側にある風呂場の中から何やら不審な音が聞こえてきた。例によって鼠でも出没したのかと思った私は、風呂場の手前にある洗面所に入り、曇りガラス越しに中を覗いてみると、久しぶりに耳にする声が私の名前を呼んでいた。慌てて立て付けの悪い引き戸を開けると、そこには案の定、潜水服に身を包んだ私の昔なじみが浴槽から顔を出していた。彼の家はここから一キロほどしか離れていないので、潜水服と酸素ボンベさえ身につけていれば下水道を通ってお互いの浴槽に遊びに来ることが可能なのである。
 久々の再会なので、私は昔なじみを玄関を入って直ぐの所にある応接間に案内しようとしたが、彼は用が済んだら直ぐ引き上げるからと断った。どうやら彼は、私が借りたまま一年以上返却していない「Fate Stay Night」の督促に来たらしい。私は彼にセイバーの
「御身はアイルランドの光の御子か。」
 と、いう発言に抗議して現在プレイを中断しているため、今は返却が出来ないこと。気が向いたらプレイを再開する予定ではあるのだが、困ったことに自分でもいつ再開する気になるのか判らないこと等を説明し、ついでに「ストライクウィッチーズ」と「武装神姫」の区別がつかないので見分け方を教えてくれという話をした所、昔なじみは呆れて帰ってしまった。まったく、人のいい奴である。
 しかし、友人が去ってしまうと一階では特にやることがない。食堂には二階に収まりきらなくなった私の蔵書がかなりの数収納されているのだが、「限られたスペースに一冊でも多くの本を詰め込む」というコンセプトのもとにしまわれているので、取り出すのがえらく面倒なのである。大型テレビもあるのだが、今朝新聞のテレビ欄を見た限りでは、この時間はおもしろい番組は放送されていないはずであった。
 とはいえ、応接間に行くというのもぞっとしない。我が家の応接間は文字通り客人をもてなすことに特化しており、他の設備は何も無い。いや、無いわけではないのだが、このご時世にレコードプレーヤーなぞ誰が使うというのだろうか。これで父の趣味がレコード鑑賞だったりするとそれなりに格好がつくのだが、生憎父の趣味はコンピューターミュージックであり、最近はKAITOMEIKOというボーカロイドを買ってきて自作の曲を歌わせている。それだけなら別に構わないのだが、毎晩丑三つ時になるとその二人が二階の洋間で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え出すのには参った。使い手が変人だとボーカロイドは暴走するらしい。
 そんな事を考えているうちに私は台所経由で食堂に到着し、私の本が比較的取り出しやすい形で収納されている本棚に目をやった。
 祖母がこの家を去った後、母が祖母の部屋とその奥にある物置の発掘調査を断行した所、怪しげな物が出てくること出てくること。行李、旧訳の谷崎源氏、更にはDDTまで出てきたのには驚いた。しかし我が家最大の魔窟は、なんと言っても応接間の金庫の中だろう。私も一度しか見せて貰った事が無いのだが、あの時ばかりは本当に驚いた。ククリナイフや飾り太刀はまあ許すとして、十文字槍、弥々切丸、七星宝剣、草薙剣、七支刀等、伝説級の代物まで安置されていたのだ。父によれば、刀剣収集を趣味としていた祖父が入手したのだそうだが、実直なサラリーマンであった筈の祖父がどうやってこれらの代物を収集したのか、実に不思議である。
 私は本棚の一番下の段から「土曜日の実験室」という漫画を取り出して、不人情に読み始めた。おもしろいにはおもしろいのだが、今ひとつ身が入らない。何かとても大切な事を忘れているような気がしてならないのだ。
 そういえば一年ほど前、食堂に仕掛けておいたゴキブリホイホイに子鼠が引っかかった事があった。あの時、子鼠があげていた必死の鳴き声に最初に気が付いたのも、半身が粘着テープに捕らえられ身動きがとれなくなった小さな生き物を最初に発見したのも私だった。そいつがあまりにもかわいかったもんで、私は二階へととって返し油粘土用のナイフを取ってきた。これであいつをゴキブリホイホイから引き離してやろうと思ったのだ。しかし引き離しても引き離しても、他の所がくっついてしまった。その度にあいつは悲鳴をあげた。埒があかないのでナイフを握る手に力を加えると、あいつの首筋を浅く切り裂いてしまった。鮮やかなピンク色が、私の目に焼きついた。結局、あいつのために私がしてやれた事は、台所の流しで溺死させてやることだけだった。
 そうだ、やっと思い出した。
 気が付くと私は裸足のまま、庭の藤棚の下に佇んでいた。この場所は昔から私が飼っていたか、もしくは何らかの形で関わった生き物たちの死体を埋める場だった。庭には染井吉野も植わっているのだが、あそこの下にはもう既に大戦中にB29が落としていった青い目の人形が埋まっているのである。
 ゴキブリホイホイと一緒に埋葬された子鼠、ねずみ取りに引っかかった大鼠、水槽から飛び出して自殺した金魚、旅行に行く時家に置き忘れてしまったせいで命を落とした甲虫の夫婦。彼等の死体が庭の肥やしとなり、今年も庭の植物は元気に実をつけている。冬には柚子と夏蜜柑、春一番にはフキノトウ、初夏にはフキに山椒の実、夏には桑の実、それから茗荷、全て我が家の庭から採れる。
 冬には椿、木の芽時には紅梅、春には桜、花韮、ムラサキダイコン、藤。みんな我が家の庭に咲いてる。
 野良猫、烏、雉鳩、椋鳥、鵯、雀に四十雀、みんな我が家を訪れた。 蟇蛙に雨蛙、鶯、蝉に鈴虫、コオロギ、みんな我が家で歌ってる。 蜜蜂、クマバチ、カナブン、モンシロチョウ、みんな我が家の庭に住んでる。
 天井裏に鼠はいるし、ゴキブリうじゃうじゃ出てくるし、夏には蚊だって出るけれど、わたしゃやっぱり家が好き。
善哉善哉。アッラー・アクバル。あなたに神のお恵みを。
 凪いだ海のように穏やかな心持ちで、私は途中までしか覚えていない舎利礼文を唱え始めた。
 

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フーミンの小説の白昼夢のような優しさ、あると思います。(一理ある)

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