2017年2月3日金曜日

寄稿文『旧世紀エヴァンゲリオン FAKE GENESIS EVANGELION 鋼鉄の宴』第九章前半


第九章前半


 ミハイルが空母「赤城」「葛城」の二隻を双眼鏡で確認した頃、彼らが本来護衛する筈だった二隻のアイオワ級戦艦には大きな危機が迫っていた。
旗艦である駆逐艦「冬月」を筆頭に、重巡「青葉」「摩耶」、軽巡「大淀」、そして「朝霧」「夕霧」「天霧」「狭霧」「朧」「曙」「漣」「潮」という綾波型駆逐艦八隻が、肉薄雷撃を挑まれていたのだ。                        


 敵「アイオワ」級戦艦の舷側に水柱が立った。と言うことで、重巡洋艦「青葉」の艦橋は歓声につつまれた。とはいえ、戦闘中であろうと無かろうと全身全霊で舵輪にへばり付いていなければならない俺のような一操舵員には、自艦の撃った魚雷が命中したかどうか等ということを確認するだけの時間的、精神的余裕があるわけも無く、敵戦艦に水柱が立ったであるとか、どうもあれは我が艦の魚雷が命中したものらしいであるとか、とにかく命中して良かった良かったであるとか、そういった話を聞いても喜ぶ気にはなれなかった。 大体、東郷元帥が日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅して日露戦争を終わらせたのは今は昔の話である。戦艦や空母を何隻沈めたところで相手側が「参った」と言わない限り戦争は終わらないというのが我らが大日本帝国海軍が今回の戦争で得た貴重な戦訓であり、とはいったものの既に始めてしまった戦争を辞める妙案も無く、今に至るまでずるずると不毛な消耗戦を続けているようなご時世にあっては、とにかく戦争が終わるまで生きていたいというのが俺の唯一の願いであった。
 それにしても、今度の戦争は随分長く続いているものだ。俺が海兵団の門を潜ったのは昭和十八年の初頭であるからさしずめ戦争三年生と言うことになろうが、勿論それ以前から戦争は始まっていた訳で、いや、少し待てよ。
 俺はこの時不意に、そもそもこの戦争は一体いつ始まったものなのであったのか、俺自身が思い出せないと言うことに気が付いた。
「用は生け贄が足りないのだ。このセカイを終わらせるためのね。青葉君も、もうじき沈む。なあに、君まで死ぬわけじゃあない。無論、君にもこのセカイでは死んで貰わねばならんが、なにしろ員数あわせだからねえ。またあっちで生きられるだろう。」
 どこからか、強いて言えば海底からか、そんな声が俺の耳に飛び込んできた。俺は思わず身震いしたが、その時俺の乗る重巡洋艦「青葉」もぐらりと揺れた。その揺れ方はまるでこの「青葉」そのものが意思を持つ生き物であり、それが追い詰められた鼠のように身震いしたようにも思われた。


 参考文献(副読本)

『グランド・ミステリー』      奥泉光  (著)   角川書店
『神器-軍艦「橿原」殺人事件』   奥泉光  (著)   新潮社

0 件のコメント:

コメントを投稿